【day essay. mono】

跡苔ふいあ

七歳年上の兄がいるという話をした。

何度か、性的な行為に付き合わされたことがある。

なんとなく、自分が小学1年生のころだったと思う。とすると兄は中学生くらいだ。夕方あたり、兄の部屋に連れこまれた。よく覚えていないのだが、「静かにしといて」みたいなことを言われた気がする。押し倒されて下敷きになった。履いているものを脱がされたような記憶がある。股間を手でさわられた後、同じところになにかがぬるぬるする感覚があった。兄の顔がすごく近い距離にあって、小刻みに動いては音の聞こえそうな呼吸を繰り返している。
たぶん本で読んだことがあったのだろう、性行為に関する知識は、その頃からなぜかなんとなくあった。それと合わせて直感的に、いますごく、よくないことをされていると感じていた。ただ、静かにしてくれと強い立場にある兄に言われたこと、抵抗をすれば暴力をふるわれるかもしれないこと、とにかく、いま起きているこれは内緒にしなければならない。そういう気持ちで、されるままになっていた。

なんでこんなことされているんだろう、数メートル先では母が食器を洗っている、その音が聞こえる、彼女との間に遮るものはなにもないから声を出せば気付いてもらえる、逆に影になって見えないだけなのに、声が出せない、いま私ってこの世に存在してない、目の前によく知っているはずの顔がある、でもこんなのは知らない、両手を押さえつけられている、なにもできない気がする、なにもしてはいけない気がする、いまなんだかこの人がすごく怖く見える、ひたすらこわい、私はなにをされている? うすうす理解できるから逆にわかりたくない、これ早く終わらないかな、とにかく手を離してほしい、気持ち悪い、やさしくされてるのかひどいことをされてるのかわかんない、すごいいやだ

どれくらいの時間が経ったかわからない。いろんなことが頭をよぎっているうちに、兄はいつのまにか自分から離れていた。さわってみたら、当該の部分はひどい感触になっていた。白くなっていたらいやだなと思って、よく確認することができなかった。
行為の前後の記憶が、まるで抜け落ちている。非常に大人しく服を着て、何事もなかったかのように居間でテレビを見つめていた気がする。あまりにショックすぎて、テレビの内容はなにも頭に入ってこなかった。母にバレないように、いつも通りにふるまわないといけないと強く感じた。次の日からも、なにも変わらないように過ごした。

しばらくした日、今度はトイレに連れこまれた。兄が性器を出して、咥えろと言った。いやだと大きな声で泣いて叫んだ。いやだということができた! すると兄はライターを取り出し、静かにしないと、と火をつけた。自分は火を非常に怖がったので、言うことを聞くしかなかった。陽がきれいにさしこむので、トイレはとても明るかった。もういいと言われるまで、地獄みたいな時間が続いた。

自分が自信を持って「性被害でした」と主張できるのは、この二回だけだ。

当然、そんなことはないと分かっている。他にも、親がいない間に胴体をさわられることが何度かあった。特に車の中で二人きりで親を待っているとき、なにかをされることが多かった。

だけど、これらは兄弟間の出来事で、しかも相手は中学生だ。とてもいやなことをされたと堂々と言うのって、なんかうるさくない? 性的な興味が身内に向いてしまうことは当たり前で、ちょっと手が出ちゃっただけなんじゃないのか。許してやれよ。お兄ちゃんはお前のこと本当に好きだったのかもよ。初めての相手は妹で済ませておいた方が、のちのち楽じゃん。予習ってことで。かわいいからしかたなかったんだよ。別にかわいくはないよ。そこにいたのがたまたまお前だったってだけで。一番手頃な女性器だったから。黙って相手してくれるし。

いろんな理由を考えた。理由は、本人に聞いていないので、わからない。聞けるわけねえだろ、なんでこいつと同じ家で平気なふりして暮らさなきゃいけねえんだよ。なんで血がつながっているのか理解できない。

なんで血がつながってるんだって書いたけど、たぶん兄も自分に対して同じこと思ってるとおもう。そんな気がする。

こういう出来事があってから、自分の身体に女性としての価値は存在しないのだと、幼くして分かるようになった。「分かる」って言い方は、ひどく価値観がゆがんでいますよと、そりゃあ自分でも感じる。でも、「分かる」って言葉がいちばんしっくりきてしまうんだ。私は七歳だったよ。人生のほとんどを、もう、初めての性行為が望んでいないもので、しかも血が繋がってる人が相手だったって、そういう事実と一緒に生きている。成長するにつれて入ってくる知識や常識のぜんぶが、自分をタコ殴りにしてくる。そうしてどんどん分かっていく。あの日から自分はずっとサンドバッグだ。

自分はこんなにも汚れている。最初から汚れているので、こんな身体、大切にする価値ないや。そう思う。クラスメイトはみんな処女で童貞で、清らかできれいなのだと毎日のように感じた。自分だけが、人間の皮をかぶった汚いなにかで、兄弟にすら大切にしてもらえていない。みんなが中学生になって性的なことに興味を持ちはじめ、実際に行為までしたよ、なんて声も聞こえはじめたころ、けっこう安心した。みんな自分と同じになってくれたから。でもこれもわりと嘘だ。一生他人と同じになれてる気なんてしてない。するわけない。

このことについて兄がふれてきたことは、ない。謝られても許すことはできない。許さないのはずっとで、これからどんなに時間が経ってもそうだ。自分が死んだ後でも許さない。許したってことにされたら、さすがにそれは名前出して晒されてほしい。

兄が高校生になったあたりから、本当に会話をしなくなった。兄は平然と彼女を作って、大人になってから結婚もした。一度、婚約相手のもとに挨拶に行ったとき、この人に全部話してしまおうかなと思った。両親にバレるのが怖くて、結局は言えなかった。

こっちはこんなにめちゃくちゃになっているのに、なんで兄はスムーズに生きようとしているんだろう。頼むからどっかで人生狂ってくれよ。

自分が生まれたとき、兄は七歳だった。自分が生まれてから兄が「こいつのせいで人生狂った」って感じはじめた可能性は、大いにある。もしかして、同じ七年目から同様にめちゃくちゃになってほしくて、自分を汚すことにしたのかもしれない。いま、そんなことを考えた。

(2023年)